まーや聴いてると、こういうのすっごい書きたくなる。
塗れんねぇ。だめだねぇ。

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文学じゃないかもしれない症候群』(高橋源一郎著)より引用

 かつて、SF作家のスタージョンは「SFの90%はクズである」といった。あの希代の読書家であった中島梓もどこかで「読んだ本の九割はクズ」といったことがある。この「90%」が実際には「99%」なのか「88%」なのか、おれにはわからない。だが、人間が関与する表現の大半がクズであることは、統計など読まずじっさいその表現に接している人間にとって自明のことなのだ。「貧しい」のは漫画だけではない。文化は「クズ」の集積そのものなのである。
 もし「表現の自由」というものがあるとするなら、それは「クズである自由」なのだ。それがわからないなら、文化について口出しすべきではないのである。


文学じゃないかもしれない症候群』(高橋源一郎著/朝日新聞社刊)より引用抜粋

@tarareba722たられば 3時間前
ある政治家が「表現規制されるのはゴミクズのような作品ばかり。なぜ規制に反対するのか」と言っていた。小説家の高橋源一郎氏は「表現の自由とは、クズである自由」なのだと。そのことを噛みしめたい。クズでいる自由を。クズの中でもがく自由を。

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 底辺でコソコソ書きたい絵を書き、駄文を日々連ねる。楽しいとかそういうのじゃなくて、たまんないんすよ、コレ。書き散らかした紙は燃えるゴミだし(一昨年〜去年に書いた厚さ5cm分くらいの日々のラクガキは家族に燃えるゴミに出された)、テキストもWebサーバの容量少々食ってるだけのゴミですよ。
 それでも、書けねー書けねー言いながらきっと明日も書くだろうし(サボるかもしれん)、日記も明日もつけると思うんすよ、サボるかもしれんけど。